人事・労務 - 残業代請求・未払い賃金

残業代請求を和解する時の注意事項和解することが真の解決にはならない

もし、従業員から未払い残業代請求をされた場合に、どう対応するかは決まっているでしょうか。一切応じないのか、一部応じるのか、すぐには判断出来ないかと思います。どう対応すべきかは、請求の内容や、就業規則はもちろん、社内の実態との兼ね合いを検討する必要があり、他の従業員への波紋も考えなければなりません。これらの対応は、弁護士などの専門家への早めの相談が肝要です。

未払い残業代請求に、一切応じないという場合はさておき、実務上では、お互いに譲歩して和解で解決することが大半です。ここでは、和解で解決する場合の注意事項をご説明していきます。

和解の効力

そもそも法律上の和解とは、争いのある当事者間で互いに譲歩して争いをやめることを約束する契約であり(民法695条)、和解が行われれば、争いの対象とされ、互譲によって決定した事項については、当事者はそれ以上争うことができなくなります(民法696条)。

しかしながら、従業員から「会社から和解を強要されたから、あの和解は無効だ」と主張されることがあります。法律上、一度和解した内容は、仮にその後に新たな事情が判明したとしても覆されることはありません。しかし、和解の対象が賃金債権(未払い残業代)の場合は、労働法規の兼ね合いから注意が必要になります。

賃金全額払いの原則との関係性

労働基準法では、労働者の生活の安定を保護するため、賃金は、その全額を労働者に直接支払わなければならないと定められています(労働基準法24条1項)。そのため、判例上も、和解で賃金債権を放棄する場合には、一定の制約が掛けられています。

具体的には、労働者が賃金債権を放棄したと認められるためには、それが自由な意思に基づくものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在している場合にはじめて有効なものとなります。(シンガー・ソーイング・メシーン事件・最二小判昭48.1.19民集27巻1号27頁)

では、和解する場合に、常にそれが労働者の自由な意思に基づくものだと言える必要があるでしょうか。

未払い残業代請求を受けて和解する場合、通常、一部の賃金債権を放棄して和解するものです。もしこのような事情を考えるのであれば、常に「後から覆されるかもしれない」という不安を抱えることになります。

賃金債権放棄が認められる場合

裁判例を見ても、賃金債権放棄の有効性が争われたものとしては、例えば、不正経理の弁償として退職金を放棄した場合や、退職金が上乗せされる代わりに残業代を放棄した場合、あるいは経営危機に際して将来の賃金債権を放棄した場合など、ある特定の問題の解決のための条件として賃金債権の放棄が行われている事案です。

使用者側の注意事項

未払残業代請求そのものについての和解が「賃金債権の放棄」として問題となるか否かということは、判例によって明確な答えが出されているわけではなく、個々の事例に応じて検討が必要です。

どのような法的解釈がとられるか否かにかかわらず、未払賃金を巡る交渉において大事なことは、労働者とのやり取りを客観的に残しておく、ということになるかと思います。そうすれば、労働者としても、裁判で、交渉経緯が証拠として会社側から提出されれば不利だからと訴訟提起を思いとどまるかもしれませんし、後に「賃金債権の放棄」に関する自由意思の問題を持ち出されたとしても、労働者の自由意思が裁判所に認定されやすくなります。

たとえば、交渉のやり取りをできるだけ書面やメールで行うこと(やむを得ず口頭で交渉する場合には録音しておく)や、和解合意書作成時には、労働者側の主張を盛り込んだ条項を設け、解決内容を示す等丁寧に作り込むということが大切となります。賃金債権を対象とした和解をするにあたっては、労働者の自由な意思に基づいているといえる状況であったか、そのことを裏付ける資料があるかを念頭に置いて、より一層丁寧かつ誠実な対応が必要といえるでしょう。

参考裁判例

シンガー・ソーイング・メシーン事件
最二小判昭48.1.19民集27巻1号27頁

事案

従業員Xは、Y社を退職するに際して、「XはY社に対し、いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する」旨の記載のある書面に署名してY社に差入れ、退職金債権を放棄した(その背景には、Xとその部下の経費使用につきつじつまの合わない点があったので、この点に関する損害の一部を填補する趣旨で、YがXに前記書面への署名を求めたところ、Xがこれに応じて署名したとの事情があった。)。

ところが、後になってXは、退職金債権の放棄はY社から意思を抑圧されて行なったものであるなどと述べて、その無効を主張した。

判旨

  • 全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もつて労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとするものというべきであるから、本件のように、労働者たるXが退職に際しみずから賃金に該当する本件退職金債権を放棄する旨の意思表示をした場合に、右全額払の原則が右意思表示の効力を否定する趣旨のものであるとまで解することはできない
  • もっとも、全額払の原則の趣旨とするところなどに鑑みれば、右意思表示の効力を肯定するには、それが労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならない
  • Xは、退職前Y社の西日本における総責任者の地位にあったものであり、しかも、Y社には、Xが退職後直ちにY社の一部門と競争関係にある他の会社に就職することが判明しており、さらに、Y社は、Xの在職中におけるXおよびその部下の旅費等経費の使用につき書面上つじつまの合わない点から幾多の疑惑をいだいていたので、右疑惑にかかる損害の一部を填補する趣旨で、Y社がXに対し「XはY社に対し、いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する。」旨の書面に署名を求めたところ、これに応じて、Xが右書面に署名した、というのであり、右事実関係に表われた諸事情に照らすと、右意思表示がXの自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在していたものということができるから、右意思表示の効力は、これを肯定して差支えない

東京地判平3.12.20

事案

Y社は、従業員Xの雇用関係を終了させる旨を通告したが、それを不服としたXは、労働組合Aを交え、Yとの間で、退職時期を延期することや、残業代を支払うこと等を内容とする合意をし、確認書を作成した。

その後、Xは、Yに対し、退職合意は効力を有しないなどと主張し、合意された退職時期以後の賃金、合意成立前の時期の時間外賃金、賞与等を請求した。

判旨

  • 本件退職合意は民法上の和解契約に当たる。そして、Xの雇用契約上の地位の存否自体が争いの対象となっていたのであるから、この点についてXは無効を主張しえない。
  • (時間外賃金の請求について)Xの時間外賃金請求権の有無につき当事者間に争いがあったが、交渉の結果、右争いを止めて確認書六項の金額で時間外賃金請求権を確定する民法上の和解契約が締結されたものであるということができるから、仮にXがその主張する時間数の時間外労働をしていたとしても、右和解契約で確定された金額を超える部分の時間外賃金請求権は民法六九六条により消滅したものである。

労務管理には弁護士のサポートが必要です

労務管理を行うためには、多岐にわたる法律に知っておく必要であり、昨今、労働法規は、法改正が立て続けに行われています。法律を「知らなかった」「きちんと運用出来ていると思っていた」では済まされず、特に、残業代請求に対する対応は、その運用を間違えれば、数百万円単位の支払いを求められ、企業にとって大きなリスクになります。そのため、労働問題を熟知した弁護士のサポートを受けながら、制度を構築・運用していくことをお勧めします。

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