企業法務コラム

トヨタ カムリの急発進事故 米国で敗訴判決

米オクラホマ州の裁判所の陪審は24日、2007年に自動車の意図しない急加速で2人が死傷した事故をめぐる訴訟で、トヨタ自動車に300万ドルの賠償を命じる評決を下した。訴訟は2005年モデルの「カムリ」の欠陥による意図しない急加速が衝突事故につながったとして負傷した運転手らが起こしていた。陪審は懲罰的賠償について検討するため、審議を25日に再開する。
トヨタ車の急加速をめぐっては多くの訴訟が起きているが、トヨタが敗訴するのは今回が初めて。カリフォルニア州、ニューヨーク州の裁判所でのこれまでの2件の訴訟ではトヨタに責任はなかったとする評決が下されていた。トヨタは2009年以降、意図しない急加速問題で数百万台のリコールを実施した。規制当局への提出資料によると、同社は2009年2月以降、この問題をめぐり約200件の集団訴訟と500件以上の個人訴訟を抱えている。

※参照
2013年10月25日 ロイター
「米地裁がトヨタに賠償命令、意図しない急加速めぐる訴訟で」

(評)
もうすでに終わった問題かと思っていたら、全く終わってなかった。この300万ドルはあくまで2人が死傷したことに対する損害賠償。恐ろしいのは今後審議される懲罰的賠償だ。企業が欠陥製品を作って、消費者に被害を起こしたとしても、訴訟になるのは全体のごく一部。だとすると、例えば300億円使って、欠陥製品をリコールするより、そのまま放っておいて、事故が起きたら起きたで1億、2億円賠償すれば良いと考える企業があっても不思議ではない。しかし、もしそういう選択をした場合、その被害に対する賠償金のほかに、300億円を企業に払わされることもあるという裁判上の仕組みがあれば、企業もリコールに熱心になるだろう。これが懲罰的賠償だ。
米国は、どんな専門的な知識を要する事件でも、陪審裁判となりうる。トヨタの裁判のような専門的知識が必須の事件であっても、地方の商店主やら主婦やらが陪審員となって、裁判をするのである。昔、日本のある機械部品メーカーが、自分の特許を侵害する歯車を製造しているとして、米国人から訴えられ、陪審員裁判になった。このメーカーは敗訴したのだが、日本のテレビ局が当時の陪審員の一人の男性に、どうした点を根拠に判断したかを聞いたところ、その男性は「社長がさ、証言台に立って言ったんだよ。私はそのような歯車が作られていたことは知らなかったってね。社長が自分の会社が作っている製品を知らないなんてことがあるわけないだろう。俺はこの社長は嘘をついているって、そのとき気がついたんだよ。」と言った。
このように、陪審員裁判は陪審員の思いつき的判断で結論を出されてしまうことがあるので先が読めないという。例えば、交通事故にあった被害者が、米国の名門大学のアメフトのスター選手で、金髪の白人で、車いすに乗って裁判に出てきたら、間違いなく負けるから、すぐ和解した方が良いなどということもあるようだ。
ひとこと言わせてもらうと、私は米国の裁判を批判していない。米国の裁判には、日本のように司法官僚が行うのとは、一味違った裁判が行われることがある。しかし、何事も正と負の面がある。
陪審員裁判には「専門家同士が、自分たち一般市民には分からないルールで、決めたような判決は受け入れられない。それよりは自分たち一般市民が下した判決の方が納得して受け入れられる」といった、草の根民主主義的な考え方が基礎にあるのだ。結果よりプロセスを重視する考え方と言っても良いかもしれない。

法律事務所ホームワン 代表弁護士 山田冬樹

2013年10月28日
法律事務所ホームワン